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福岡家庭裁判所 昭和36年(家)49号 審判 1963年10月14日

申立人 藤田太郎(仮名)

相手方 藤田実(仮名) 外三名

主文

扶養義務の履行として、申立人に対し、昭和三八年九月一八日以降相手方藤田実は毎月金四、〇〇〇円宛を、相手方藤田進は毎月金二、五〇〇円宛を、相手方岸田マサコは毎月金一、〇〇〇円宛を、いずれも毎月末までに支払いせよ。

申立人の相手方藤田三郎に対する本件申立を却下する。

理由

一、本件申立の要旨

申立人は、事業に失敗し多額の債務を生じたのでこれを整理しようとしたところ、長男である相手方藤田実において、昭和三四年頃、申立人所有の不動産を勝手に売却したり同人名義に所有権移転登記をしたので、財産の大部分を失つてしまい、申立人所有名義で残つている不動産は換価不能のものである。申立人は爾来、単身で日雇労務に従事して生活していたが、近来老齢と宿痾のため働くことができないので生活に困窮している。相手方らは申立人の子や弟であつて、その住所地では、いずれも中流の生活をしているので、申立人は同人らに対し、申立人の生活費として共同で月額金一万五、〇〇〇円の支給を請求する。

二、本件審理の経過

本件は昭和三六年一月一七日に申立てられ、戸籍謄本等の追完をまつて同年三月一日調停に付された。申立人の所在が一時不明になつていたところ、同年五月三〇日に至り、申立人が相手方岸田マサコ方で農業の手伝をしながら扶養を受けていることが判つた。申立人の生活が一応安定したこと、申立人とその扶養義務の主たる担い手というべき長男実(相手方)との感情の対立が激しくて調停で調整できる見込みのうすいこと、および岸田マサコ、藤田三郎等関係者が申立人の生活態度をしばらく静観したいとの意向であり、しかも農繁期のため調停に出頭し難い等の諸事情から調停の進行を見合せた。ところが、申立人は同年九月初め頃岸田マサコ方を出て行き、その所在が不明であつたところ、昭和三八年三月末頃その住所が判明した。申立人の生活状況の変化に伴う調査をした上、調停を試みたところ、同年七月二六日調停は不成立になり、審判に移行した。

三、当裁判所の判断

(1)  申立人の生活状態について、調査の結果によれば

(イ)  申立人は、郷里(旧岩戸村)の村長、農業協同組合長等を勤めた人物であるところ、内縁の妻の事業失敗その他の原因から多額の債務を負担し、その所有財産の一部を処分して債務の支払いに当ててきたのであるが、昭和三四年六月当時の債務五五〇万円を弁済するため所有不動産を売却しようとしたが相手方らに阻止された上、不動産の大部分を相手方藤田実の所有名義に変更登記された。そこで申立人は昭和三五年七月二二日相手方藤田実、藤田三郎および藤田ヨシコに対し土地返還請求等の調停申立をした(当庁昭和三五年(家イ)第三二二号事件)のであるが、調停進行中に、申立人の希望により実質上の扶養の実現のため調整が試みられたところ、相手方らが申立人の非行を攻撃して強硬に扶養を拒否したため調停は不成立に終つた。そして申立人から昭和三六年一月一七日本件扶養審判の申立をした。

(ロ)  申立人は上記申立以前から同年四月末頃までは福岡市内で借間自炊生活をし、五月から九月初め頃までの間は前記のとおり相手方岸田マサコ方で扶養を受け、右相手方宅を出てから元の自炊生活に戻つた。その頃、申立人は、前の自炊生活当時に関係を生じ、同年七月、申立人の間にできた子供新一を産んでいた松井文子(昭和四年三月生)との関係を復活し同棲し、同年一一月末頃、宗像郡宗像町大字東郷○○○番地に転居した。申立人は同年九月頃、その生家で現在相手方藤田実方にあつた書画骨董、動産類を選び出し、これを処分して金一〇万円近くの金員を得たが、これは生活のため費消してしまつた。

(ハ)  申立人、松井文子は同棲したものの、両名とも収入がないので、松井文子が昭和三七年初頃から静岡県熱海まで出稼に行き昭和三八年二月まで毎月金二万円程度を申立人に送金し、申立人はその金で自分と息子新一の生活を維持していた。松井文子は、同年三月熱海から帰り旅館に女中として働き月額金一万三、〇〇〇円程度の収入を得、これによつて申立人、新一ら三名の生活を支えて来た。申立人は同年三月頃までその住所、生活態様等を相手方に知らさなかつたのである。

(ニ)  松井文子は、収入のない申立人と同棲し同人のために働くことに負担を感じていた折柄、昭和三八年五月初め頃から妊娠中絶の予後不良のため働くことができなくなつたので、申立人との関係を断つて生活保護法による生活扶助を受けたいと希望するに至つた。

福岡県北筑前福祉事務所は、松井文子から同人とその子新一の二人世帯としての生活扶助、医療扶助の申請を受理したのであるが、実体調査の結果、申立人が松井文子と事実上の夫婦として同棲し生計を一にしている事実を知り、申立人の存在が生活保護法上の世帯単位の原則、親族扶養優先の原則上問題となるとし、また結果的に申立人が松井文子の保護費によつて生活するようなことがあつてはならないことを強調した。

(ホ)  申立人は、本件調停において、相手方藤田実、藤田進らが、申立人において松井文子との関係を断ちその生活態度を改めないかぎり扶養の請求に応じないとの強硬な意思であることを知り、また上記のような松井文子、新一の生活問題、福祉事務所の事務処理の態度等から松井文子と関係を持続することを好ましくないと考えたこと等から、遂に文子との関係を断つことを決意し、去る九月一七日同人との関係を解消して郷里に引き揚げ、空家になつていた申立人所有の家屋(未登記で六畳二間の小家屋)に単身で居住するに至つた。

(ヘ)  申立人は、上記のとおり単身で生活するようになつたのであるが、現金収入が皆無であるので、近くに居住中の相手方藤田進、同岸田マサコ、同藤田三郎ら方で食事をして日を過しているところ、それは好意的に食べさせてもらうに過ぎないのであつて、扶養義務の履行としてされているのではない。申立人は、那珂川町大字恵子字浦の原○○○番地田七畝歩外一五筆の田、畑、山林を所有(申立人の父政治所有名義のままのものを含む)しているけれども、大部分は荒地、湿地で作付不能の地、道路敷等のため換価不能であり、久代丈郎、岡本森助に賃貸している田計二反八畝一一歩(申立人は賃貸料を受領していない)が換価可能の土地と思われるけれども、小作人との関係、相手方藤田進において所有権移転の仮登記をしていること等のために、早急に売却することは不可能である。

等の事実が認められるのであつて、以上の事実によれば、申立人は生活困窮の状態であつて、おそくとも昭和三八年九月一八日以降扶養義務者から扶養を受ける必要があるものといわねばならない。

(2)  扶養義務者について、調査の結果によれば

相手方藤田実は申立人の長男、相手方藤田進は同じく二男、相手方岸田マサコは同じく長女、相手方藤田三郎は申立人の弟であつて、いずれも申立人に対する法定の扶養義務者であるところ、

(イ)  相手方藤田実は、申立人の生家にあつて農業に従事していて、その所有不動産は宅地六筆合計四四七坪二合、山林九筆合計六反四畝二一歩、現住の家屋であり(以上の物件に対する那珂町における固定資産税課税標準の価格は合計四一万六、四〇〇円、固定資産税年額六、二四〇円)同人の妻ヨシコ所有名義の田は一九筆合計一町六反六畝一三歩(昭和三五年度の固定資産課税標準の価格は合計七九万三、八二九円、固定資産税年額一万一、九〇〇円)であつて、これを耕作し農業経営をしているのであ。こるの農業経営による収入と相手方が副業として日傭仕事によつて得る収入によつて長男(高等学校一年生)二男(中学校一年生)を含む一家四名の生計を立てている。なお、田が上記の如く妻ヨシコの所有名義になつているのは、相手方実、その妻ヨシコらが、申立人においてこれを処分するのを予防する手段として勝手に名義変更をしたものである。

(ロ)  相手方藤田進は、田五筆合計四反五畝、畑一筆七畝を所有しこれに小作田三反足らずを合せて耕作しており、農業経営には主として妻ミツ子を当らせ、自らは運送店にオート三輪車の運転者として毎月二〇日~二九日間位働き、長女(八才)二女(五才)を含む四名の生計を立てているのであつて、その経済状態は相手方藤田実に比しはるかに劣つている。

(ハ)  相手方岸田マサコ自身は不動産を所有しない。その夫岸田一男は田一五筆合計一町三反一畝余、畑九筆合計三反一畝歩を所有していて、妻とともに農業に従事し、相手方マサコは時折土木仕事に出て賃金を得ている。

ことが認められるのであつて、右事実によれば、上記相手方らはその住所地方において、中流あるいはそれ以上の生活程度にいるものということができる。

相手方藤田実は、申立人が完全に生活能力を失い、その生活態度を反省改悟して引取扶養を求めてきた場合には引き取りを拒まないつもりであるというのであるが(昭和三八年五月一三日付報告書参照)、調査の結果では、申立人と相手方藤田実とは今なお感情の対立が激しいので、直ちに同居し平和な共同生活を営むことができるものとは思われない。

申立人は上記のとおり情婦との関係を断つて郷里に帰り苦しい生活をしているのであるから、相手方藤田実、同藤田進、同岸田マサコらは、申立人の現在の生活状態、生活態度に思いを致たし、子として、各その分に応じて金員を醵出し合つて申立人を扶養すべきである。

如上のような、申立人および上記相手方三名の生活状態、財産関係、職業、その他調査結果の一切、申立人の居住地域における生活保護法による生活扶助料の金額等を総合すれば、申立人の一月の生活(家賃は不要)は金七、五〇〇円位で賄うを相当とし、右生活費として、相手方藤田実は金四、〇〇〇円、同藤田進は金二、五〇〇円、同岸田マサコは金一、〇〇〇円をそれぞれ醵出するのが相当である。

そうすると、申立人に対し、本件申立以後で、上記のとおり申立人が扶養を必要とするに至つた昭和三八年九月一八日以降、相手方藤田実は月額四、〇〇〇円を、相手方藤田進は月額二、五〇〇円を、相手方岸田マサコは月額一、〇〇〇円をそれぞれ毎月末までに支払わねばならない。

申立人は相手方藤田三郎に対し扶養料の支払方を求めているところ、上記の如く、申立人には扶養義務者である直系卑属がいて、申立人に対する扶養義務を尽すに十分と思われるので、現在の状態の下においては、相手方藤田三郎に対し申立人に対する現実の扶養義務を認めるのは相当でないので、この申立を失当として却下すべきである。

依つて主文のとおり審判する。

(家事審判官 藤田哲夫)

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